2022.5.15 メッセージ内容

「主との距離」マタイ14:22-33

イエスは、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。(27節)

主イエスが5000人の人々に食事を与えられた直後に、本日学ぶ出来事が記されている事には大きな意義があります。自分を王に担ぎあげようとした群衆を解散させ(ヨハネ6:15)、弟子たちを舟に乗り込ませた後、ご自分は一人で祈りの時をもたれたのです。主と弟子たちの距離からこの意義を考えてみましょう。

一、離れられた主イエス

働かなくても食物が与えられるなら、人はすぐに怠惰になってしまいます。それを望んでおられなかった主は、あえて群衆や弟子たちから離れられました。弟子たちは、不安ではありましたが、主が言われるように、向こう岸に向かったのです。子どもが成長するなら、独り立ちすることが必要であるように、弟子たちも主から離れて生きることを学ばねばなりませんでした。

私たちの信仰生活においても、独り立ちすることは大切です。いつまでも牧師や他の兄姉に頼ってばかりではいけません。復活の後、主イエスは40日間ご自分が生きていることを弟子たちに示されたのですが、その後に彼らを離れて昇天されました。目に見える主イエスに頼っていたら、弟子たちの成長はないからです。たとえ肉眼では見えなくても、主は存在されます。

二、近づかれた主イエス

ガリラヤ湖は東西10km、南北20kmほどの湖で、地形上、時々激しい風が吹いてくる所でした。この時も、湖を渡っている弟子たちにこの嵐が襲ってきたのです。弟子たちの多くは漁師でしたが、彼らでも恐れを感じるほどでした。8章でも彼らは嵐を経験していました。その時は主イエスがご一緒でした。しかし、弟子たちだけだったこの時は心細かったに違いありません。

その時、驚くべきことがおこりました。遠く離れておられると思っていたのに、主は弟子たちの舟に近づいて来られたのです。まさか主だと思っていなかった弟子たちは、「あれは幽霊だ」と怯えてしまいます。しかし主は、「わたしだ(わたしは存在する)。恐れることはない」と仰せられました。苦しんでいるときにも、主はおられなくなったのではありません。恐れなくて良いのです。

三、内に来られた主イエス

ペテロは勇気をして、自分の方から主の所に歩み出しました。でも途中で怖くなり、「主よ、助けてください」と叫びます。「信仰の薄い者よ」とは叱責ではなく、憐れみの言葉です。人の勇気など、たかが知れています。主ご自身が彼をつかみ、舟の中に乗り込まれました。その時、これまで彼らを恐れさせていた風はやみ、湖は静かになったのです。彼らの内に主が来られたゆえに。

現代においても、しばしば大きな嵐が私たちの人生に襲いかかります。主が遠くにおられると思っているなら、その嵐に悩み苦しみます。しかし主は、たとえ肉眼で見えなくても、存在しないお方ではありません。ご自分のほうから私たちに近づき、私たちの内に来てくださるのです。問題は、このお方を認めようとせず、自分の力で解決しようとする私たち自身ではないでしょうか。

私たちと主イエスの距離はどれほどでしょうか。2000年前の歴史的人物だと思っているなら、嵐に会った時に恐れを感じてしまいます。しかし、主が今も生きておられ、私たちに近づき、私たちの心の内に存在していてくださることが分かるなら、恐れは消え去ります。そして、大きな平安で心が満たされるのです。