2022.4.17 メッセージ内容

「復活の目撃者」ヨハネ20:11-18

イエスが立っておられるのを見たが、それがイエスであることが分からなかった。(14節)

教会で、復活祭(イースター)として毎年祝われるのは、主イエスの復活がキリスト教信仰の根底にあるからです。聖書には、復活を目撃した多くの人々の証言が記されています。最初に挙げられるのがマグダラのマリアです。悲惨な生活から回心した彼女は、主イエスを心から愛し、日曜日の早朝、葬られていた墓に来ました。

一、目撃者は見た

主が墓に葬られていた3日間、マリアは泣き続けていたでしょう。ユダヤ人の習慣で、安息日には行動できなかったのですが、それが終わった時にいち早く主のご遺体に香油を塗るためにやって来ました。でもそこには主のからだはありませんでした。弟子たちにそれを知らせた後、彼女は再び墓にやってきて、墓の中をのぞき込みました。そこには二人の御使いがいたのです。

御使いは、「なぜ泣いているのですか」と尋ねます。マリアには主が復活されたとの考えはなく、誰かが主の遺体を盗んだと思って悲しんでいたからです。さらに、うしろに主が立っておられたのですが、それも主だとは思えませんでした。主を愛していたとしても、復活ということをマリアが受け入れるのは難しいことでした。現代なら、なおさら困難なことでしょう。

二、目撃者は悟った

マリアは、復活した主を「園の管理人」と思っていました。しかし主が「マリア」と呼びかけられたとき、それが主イエスだと悟ったのです。園の管理人なら、彼女の名前など知るはずがなかったでしょう。多くの人々は、聖書に書かれていることが自分とは無関係だと思っています。しかし、自分と関係のあることだとわかったなら、それまで理解できなかったことを悟れるのです。

もし、自分の悲しみや苦難を知っている方がおられることを知ったなら、私たちの生き方は変わります。復活された主イエスが、自分のことをご存じの上で、自分のそばにおられることを悟ることができるのです。マリアは「ラボニ」と呼びかけましたが、これは「私の先生」と直訳できます。このとき、マリアは主の復活が現実の出来事であることを悟ったのでした。

三、目撃者は伝えた

マリアに対して、主が「すがるな」と言われたのはなぜでしょうか。彼女の感情を無視されたのでしょうか。違います。彼女には、主との個人的な交わりよりも大切なことがあることを知らされたのです。それは、伝えることです。主が復活されたことだけではなく、父なる神のもとに行かれることも伝える責任が、目撃者にはあります。マリアはその通りに行動しました。

マリアだけでなく、主の復活を目撃した多くの人々はそのことを伝えました。言葉の証言だけでは、自分が死んだ後に伝えることができません。そこで書かれたのが、現在、私たちの読んでいる福音書です。もし福音書がなければ、「復活など作り話だよ」と言われてしまうでしょう。この後、弟子たちは「復活の証人」として、このことを伝えていきました(使徒1:22,2:32)。

2000年前に起こった出来事が真実か否かということを確かめるためには、目撃証言を真剣に検証することが必要です。「500人以上」の人々が、主の復活を証言しているのなら、作り話とは言えません(Ⅰコリント15:6)。そして主の復活は、2千年間、死を恐れる人々に大きな希望を与えてきたことも事実なのです。