2022.4.3 メッセージ内容

「弟子の足を洗う」ヨハネ13:1-15

あなたがたもまた、互いに足を洗い合わなければなりません。(14節)

主イエスは、翌日には十字架にかけられる木曜日の夕方、ユダを含めた弟子たち全員の足を洗うという、驚くような行動をなさいました。ヨハネ福音書には、聖餐制定の記事は詳しく語られていませんが、あえてこの洗足の記事が記されています。それは、主イエスが次の3つのこと弟子たちに示されたことを強調するためでした。

一、真の愛を示すため

主は、弟子たちと3年間一緒に行動されてきたのですが、十字架の前夜に「彼らを最後まで愛された」ことをこの洗足によってお示しになりました。マリヤは香油を注ぐことによって主に対する愛を示しましたが、主は弟子たちの汚れた足を洗うことによってそうされたのです。ルカ福音書22:24によると、それは弟子たちが「誰が一番偉いか」と争っていた時でした。

3年間主と共に過ごしていても、誰が偉いかと争っていた弟子たちを前にして、神の子である方が、召使のようになって、弟子たちの足を洗われたのです。主を裏切ろうとしていたユダの足さえも洗われました。真の愛とは、敵さえも愛することができます。主イエスの愛は、人間では考えることができないような気高いものでした。

二、真の関係を示すため

ペテロの順番になったとき、彼は「私の足を洗わないで下さい」と断ったのですが、主は「あなたはわたしと関係ないことになります」と答えられました。主に洗っていただくとは、主との関係を保つことです。「では手も頭も洗ってください」と言うペテロに、「水浴した者は、足以外は洗う必要はありません」と言われたのは、洗礼を受けた者は本質的にきよくされたからです。しかし、日常生活の中で小さな罪を犯すことも事実です。

私たちも、洗礼を受けた後に、様々な罪を犯しています。それでも二度三度と洗礼を受ける必要はありません。しかし、愛に基づかない行動をしたり、高慢になったりすることはあります。そのような時こそ、主との関係を深めることが重要になります。そのまま主の前に出て、罪を洗っていただいたら良いのです。たとえ罪人であっても、主の懐に飛び込むことが真の関係なのです。

三、真の模範を示すため

主であり、師であるイエス様が弟子たちの足を洗われたことは、私たちに対する真の模範でした。世の中の常識とは正反対の行動をされた主と同じように生きることは、簡単な事ではありません。しかし、そのような生き方こそが、周囲の人々を変えるのです。足を洗ってもらった者が、それを当然だと考えるなら、大間違いです。洗ってもらったのだから、私たちも洗いましょう。

主イエスの生涯を聖書から学べば学ぶほど、私たちは自分の罪深さを認めざるをえません。しかし、その時こそ、主の前に出て悔い改め、主に洗っていただきましょう。罪を赦された者は喜びに満ち溢れます。そして、自分に罪を犯す者たちをも愛することができるようになるのです。主イエスと言う模範を示されておりながら、その模範を無視するような者であってはなりません。

主イエスの歩まれた道を、私たちも歩みたいと切に願います。クリスチャンの日常生活の基準は、主を知れば知るほど、明らかになります。毎日毎日、聖書を読むことによって、少しずつでも変えられていくのです。今週、誰かの汚れた足を洗ってみようではありませんか。嫌な人にも愛の言葉をかけてみようではありませんか。