2022.3.20 メッセージ内容

「なぜ宮きよめが?」マルコ11:15-19

「わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる」 と書いてあるではないか。(17節)

今日学ぶ出来事は、主イエスが十字架刑に処せられる週の月曜日におこった出来事だと推測されています。これは4つの福音書すべてに記されている重要な事件です。主はここで、神を礼拝する所がどういうものであるべきかを教えられました。それは現代の教会にもあてはまります。

一、商売のない宮

当時の宮では、鳩以外にも牛や羊が売られていました。神に犠牲としてささげるためです。当時の律法では、それらは何の傷も無いものでなくてはなりません。商売人たちはそれに目を付け、人々が持参した家畜に難癖をつけて、高い値段で「傷のない」家畜を売っていたのです。両替人たちも、一般の通貨を神殿専用の通貨に替えていたのですが、手数料が高額でした。

しかし最大の問題は、そんな商売が神殿の中で行われていたことが黙認され、祭司たちが利益を得ていたことです。いつの時代でも、金銭は人の目をくらませます。祈りの家であるべきなのに「強盗の巣」になっているとは、大きな悲劇です。現在の教会の運営のためにもお金は必要ですが、お金を中心としてはなりません。

二、偶像のない宮

神殿専用の通貨があったのには理由があります。一般の通貨には当時の皇帝の肖像が刻印されており、それが献げられるなら偶像崇拝になると考えられていたのです。それほどまで偶像崇拝に神経質になりながら、彼らには別の「偶像」がありました。それは、彼らが行っていた礼拝形式そのものです。犠牲を捧げていたら、その生き方がどのようなものであっても構わないという考え方は「偶像崇拝」と言っても良いでしょう。

今の時代でも、神以外のものを第一とするなら、それは偶像崇拝になります。お金以外にも、名誉や地位は偶像になりがちです。教育や家庭が神以上の立場になる可能性もあり、立派な建物が偶像になることもあります。確かに主は、その数日後、当時の神殿が破壊される日が来ることを預言されました(13:2)。目に見えるものを神以上のものにしてはなりません。

三、主イエスのおられる宮

主が神殿でこのような行為をされたことは、祭司たちを激怒させました。これがきっかけとなって、主の暗殺計画が進むことになったのです。それをご存じだった主は、自分の肉体を神殿に譬えて「この神殿を壊しても、別の神殿を三日で建てる」と言われました(14:58)。これは十字架と復活の預言でした。目に見える建物ではなく、目に見えなくても主の臨在こそが大切なのです。

パウロは、私たちのからだは「神から受けた聖霊の宮」であると言います(Ⅰコリント6:19)。この弱い、罪深い肉体の内に、聖霊なる神がいてくださり、私たちが神の御心にそった生き方ができるように、日々働いてくださるのです。主イエスが私たちと一緒にいてくださるなら、弱い私たちでも強くされることを忘れてはなりません。「祈りの家」とは教会だけでなく、私たち自身でもあります。だからこそ毎日の祈りが不可欠です。

様々な願いを神に申し上げることも祈りの大切な要素です。しかし祈りとは、第一に主との交わりであることを銘記しましょう。主の臨在を毎日毎日意識して過ごすなら、きよい自分にさせていただけます。愛のない自分、よく失敗する自分であっても、ありのままで主の前に出て祈ることが「宮きよめ」であることを知って下さい。