2022.3.13 メッセージ内容

「主が用いられる人」マルコ11:1-11

「主がお入り用なのです。すぐに、またここにお返しします」と言いなさい。(3節)

今日学ぶ出来事は、主イエスが十字架刑に処せられる週(受難週と言われます)の日曜日におこった出来事だと推測されています。それまで、北方のガリラヤ地方で活躍しておられた主は、あえて反対者の本拠地だったエルサレムに入城されました。この記事を通して、主はどんな人を用いられるかが教えられます。

一、主のことばに従った人

主は二人の弟子に「だれも乗ったことのない子ろば」を連れてきなさいと仰せられたのです。当時、王様や有名人は馬に乗って華々しく入城するのがならわしでしたが、そのイメージとは全く違います。弟子たちも不思議に思ったことでしょうが、主のことばに従ったのです。そのろばの持ち主も、この厚かましい願いに応じてくれました。きっと主を尊敬していたからでしょう。

福音書の中には、主のことばに素直に従った人たちのことが何度も記されています。5千人の給食の場合もそうでした。5つのパンと2匹の魚が5千人を満足させることなど、考えられません。同様に、主を尊敬していた人々にとって、子ろばが大人を乗せる姿は、驚きだったに違いありません。でも彼らは従ったのです。

二、主をお乗せした子ろばのような人

マタイの福音書は、これが旧約聖書の預言の成就だと言い、「あなたの王があなたのところに来る。柔和な方で、ろばに乗って」(ゼカリヤ9:9)が引用されています。軍事力によって支配する王ではなく、重荷を負って黙々と歩むろばを、神はあえて用いられるのです。人々の罪を背負って十字架にかけられた主の姿が、ろばの子に象徴されています。ロールスロイスではなく、軽自動車を用いるのが主のご計画でした。

今の時代でも、神は能力のない者をあえて用いられます。それは、だれも誇ることのないためでした。パウロも「十字架以外に誇りとするものが、決してあってはなりません」と言います(ガラテヤ6:14)。子ろばにとっても初めての経験でした。私たちも主のために用いられることができます。「自分は何もできない弱い者だ」と思う人こそ、主は用いられるのです。

三、主を賛美する人

人々は、自分の上着や葉の付いた枝を道に敷きました。これは、王が入城するときの庶民の歓迎の仕方だったようです。また人々は、「ホサナ」(どうか救ってくださいという意味)と賛美していました。ローマ帝国の圧政に苦しむ人々は、主イエスが自分たちの国を救ってくれる英雄のように思えたからでしょう。しかし主イエスの目的は軍事的英雄になることではありませんでした。

現代でも、政治的権力者は、武力や財力によって世界を支配しようと考えています。しかし、それはかえって多くの人々を苦しめる結果となるのは明らかです。そうではなく、主は自らが犠牲となることによって、人々の罪を赦そうとされたのです。力ではなく愛によって、この世界は保たれることを示そうとされました。そういうお方を賛美する者になりましょう。 主が用いられるのは、主のみことばを受け入れ、自分の弱さを自覚しながら、全能の主を賛美する人です。主が自分のような者でも用いてくださることを信じて、喜びの日々をおくる人です。そういう人は、歴史には名を残さないかもしれませんが、人々に「愛・喜び・平安」をもたらす者となることを知ってください。