2022.2.20 メッセージ内容

「神の国に入る条件」マルコ10:17-27

それは人にはできない事です。しかし、神は違います。神にはどんな事でもできるのです。(27節)

主イエスに出会った人々の大半は福音を信じるのですが、主のもとから去っていった人も何人かいます。マルコ福音書の唯一の例が、ここに記されています。彼は金持で道徳的にも立派な人物でした。しかしそれが神の国に入る条件ではないことがわかります。彼に欠けていたものは何だったのかを考えてみましょう。

一、善行ではない

彼が主のもとに駆け寄ってきたのは、永遠のいのちが欲しかったからです。それを得るためにはどんな良いことをしたら良いのかを主に尋ねました。彼は主を「良い先生」と呼びかけます。世の中に多くいる教師の一人だと思ったからでしょう。主は、十戒のうちの後半6つを彼に示されました。すぐに彼は、それらすべてを守ってきたことを率直に語ったのです。

6つの戒めは、人間関係に関するものです。当時の多くの律法の教師は、これらを守ることを強調していました。しかしそれらを守っていても、彼の心の中には不安があったのです。私たちも、似たようなところがないでしょうか。真面目な人ほど、心の奥底で自分は偽善者ではないだろうかと思うのです。そのことを感じていたからこそ、彼は主のもとに駆け寄りました。

二、財産でもない

主は彼に、「持っている物をすべて売り払い、貧しい人たちに与えなさい」と言われます。それを聞いた彼は、顔を曇らせて悲しみながら立ち去ったのです。多くの財産を持ち、何一つ不自由なことがなかった彼にとっては、財産のほうが永遠のいのちより大切だったからです。十戒の前半の4つは、神と人との関係についての戒めです。彼にとっては、神よりも富のほうが大切でした。

「神のみを礼拝せよ」「偶像の神を造るな」という戒めは、神以上に大切にするものがあってはならないことを示しています。この金持の人だけでなく、私たちも気をつけねばなりません。財産があれば、目に見える生活は安定しているでしょう。しかし、心に平安があるかどうかは別問題です。どんなに豊かな財産があっても、死後にそれらを持っていくことはできません。

三、信頼である

当時も今も、ユダヤ人は、財産は神からの祝福だと思っています。だからこそ聖書は、それを貧しい人に分け与えるように命じます。神から預かったものだからです。彼が立ち去っていったのは、それが受け入れられないからでした。自分の生活を神が支えてくださっていることが受け入れられない人は、神を信頼していないからに他なりません。その人に真の信仰はないのです。

弟子たちも、このことを理解していませんでした。だから、「だれが救われることができるでしょう」と言ったのです。自分の善行を積むことによっても、懸命に働いて財産を築くことによっても、永遠のいのちを得ることはできません。人には出来ないことです。しかし、「神にはどんなことでもできるのです」と、神に絶対的に信頼することこそ、永遠のいのちを受け継ぐ唯一の方法です。

善行や財産は、神への信頼を妨げる場合があることを銘記しましょう。何の力もないからこそ神を信頼するのです。信頼するなら、この地上の生活においても、安心して生きることができます。死んでから与えられるのが永遠のいのちだと思わないでください。永遠のいのちは、現在すでに信仰者に与えられているのです。