2022.2.13 メッセージ内容

「最も大切なこと」ルカ10:38-42

必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。(42節)

著者ルカは、この記事を良きサマリア人の譬え話の直後に置いています。なぜここに置かれているのかには、大きな意味があります。ここに登場するマルタとマリアは二人とも、主イエスのことを心から愛していたのですが、その愛し方は違っていました。主は、信仰者にとって最も大切なことは何かを私たちに教えておられます。

一、マルタの考え方

彼女は、自分が姉だという立場もあって、主をおもてなしすることを何よりも大切に思っていました。これは決して悪いことではありません。でも最初は喜んでそうしていたのですが、妹のマリアが少しも手伝おうとしないので、いらだったのでしょう。つい、主に愚痴を言ってしまうのです。最初の喜びはどこかへ消え去っていました。姉妹の関係ならなおさらでしょう。

私たちも、親しい間だからこそ、このような気持ちになることもあるかと思います。忙しすぎると、つい平常心を失ってしまうのです。自分だけが仕事をしていて、だれも手伝おうとしないことに腹が立ってきます。しかし主は、御馳走を食べることを願っておられるのでしょうか。マルタは良い行いをしました。しかし、主の願いは、良い行いをするよりもっと深いところにありました。

二、マリアの考え方

マリアはこの個所で、何一つことばを発していません。姉と違って、静かな性格だったのでしょう。彼女は、ひょっとして、12弟子のようにいつも主イエスとともに居たいと願っていた可能性もあります。しかし、家庭の事情でそれができなかったのかもしれません。だから、主が自分の家に来られた時をチャンスと思い、このような行動をとったのではないでしょうか。

マリアは、決して姉の手伝いをするのが嫌だったわけではありません。ただ、おもてなしをするよりもっと大切なことがあることを感じ取っていたのです。必死に主のことばに聞き入っていたため、時間を忘れていたのだと思われます。主イエスも、マリアのこの姿勢を心から喜んでおられました。私たちも、みことばを聞くことが大きな喜びだった時があったに違いありません。

三、主イエスの考え方

おもてなしは、日本人の美徳です。しかし、そのために、「思い煩って、心を乱す」ことになってしまうことは、決して良いことではありません。自分も疲れるでしょうし、もてなされるほうも楽しくないでしょう。しかし、主イエスが望んでおられるのは「心の交わり」です。「必要なことは一つだけです」と主が言われているのは、このことです。良い行いをする以前に必要なことです。

「神との交わり」は、マリアだけでなく、すべてのクリスチャンに必要なことです。それは、だれからも取り上げられてはなりません。では、「神との交わり」はどのようにしたら実現するのでしょうか。それは毎日、聖書から神のことばを聞き、それに応答して、自分のことばで祈ることです。毎日早天祈祷会で行っていることです。他のどんなことより、もっと大切なことです。

良きサマリア人の譬え話は、「何をしたら永遠のいのちを受け継ぐことができるしょうか」と尋ねた人への答えとして、主が語られました。敵を愛することができたら、それは可能になるでしょう。しかし、それができない自分であることに気づいた時に、私たちは謙遜に主のもとに行くことができるようになるでしょう。