2022.1.30 メッセージ内容

「賢い人になろう」マタイ25:1-13

ですから、目を覚ましていなさい。その日、その時をあなた方は知らないのですから。(13節)

主イエスが十字架につけられる週(受難週と言われています)に、主は幾つかの譬え話をされました。それは、不信仰のゆえにイスラエルの国が滅びる日、また悪の世界が裁かれる日を暗示する譬え話でした。でも恐ろしい日ではなく、結婚式のような喜びの時として描かれています。賢い人は、その日をどのように迎えるのでしょうか。

一、聖霊によって待つ

花婿は主イエスを譬えています。その日、花婿は花嫁を迎えに来られます。しかし、予定より遅れて、夜も遅くになりました。花婿が来るのをまっていた娘たちはみな、ともしび(ランプ)は用意していたのですが、足らなくなった時を想定して、予備の油を持っていたのは半数だけでした。聖書の中で、油はしばしば聖霊を象徴するものとして描かれています。

主イエスは2000年前に昇天されましたが、再び目に見える姿でこの地上においでになると約束されました。しかし、その時がいつになるのかはだれも知りません(24:36)。その日を待ち望む者は、この暗い世界に希望の光をもたらすのですが、そのために必要なのが聖霊という油です。自分の能力で光を放つのではなく、共におられる聖霊が光の源なのです。

二、眠り込む時もある

初代教会の時から、クリスチャンたちは主の再臨を待ち望んでいました。パウロやペテロも、自分が生きている間に主が来られると期待していました。でも、2000年たってもそれは実現していません。待ちくたびれて寝入ってしまう人もいます。10人の娘がみな、そういう状況だったと主は話されました。現在の私たちも、眠り込んでしまう時があるのを否定できません。

教会の歴史の中にも、眠り込むような時がありました。今がそのような時なのかもしれません。コロナ禍にあって、信仰が弱くなっていると感じる人もあるでしょう。しかし、主はそういう人を断罪しておられないのです。ただ、油すなわち聖霊をもっているかどうかを問われます。賢い娘のように、聖霊との交わりを常に持ち続けることが、闇の深まっていく時代に不可欠なのです。

三、借り物ではいけない

油を用意していなかった娘たちは、「油を分けてください」と頼みました。でもそれはできません。聖霊は、一人ひとりが個人的に体験することでしか得られないからです。親子でも夫婦でも、また牧師と信徒の関係でも、助けることはできないのです。もちろんその人のために祈ることが可能ですが、最終的には本人が神様の関係を進んで持つかどうかが問われます。

主が再び来られた時に、「私はあなたを知りません」と言われたなら、どんなに嘆いても取り返しがつきません。あなたと神様との関係は、いかがでしょうか。毎日、聖書を読んで主の御心を知り、祈りによってそれにお応えするという単純なことで良いのです。それによって、聖霊なる神は父なる神の愛と主イエスの恵みを思い出させてくださり、光り輝く者とさせて。

眠り込んでしまうような弱い者でも、聖霊との交わりを常にもつ賢さを身につけましょう。疫病や戦争や気候変動などが多発していることにより、今は、再臨がいつあっても不思議でない時代だと感じます。主が来られる日を喜んで待つ者になりましょう。聖霊の油により、「世の光」としてこの世に輝く者となりましょう。