2022.1.2 メッセージ内容

「主の恵みの年」ルカ4:16-23

虐げられている人を自由の身とし、主の恵みの年を告げるために。(18-19節)

AD2022年の最初の主日です。ADとは、ラテン語のAnno Dominiの略で、「私たちの主の年」という意味があります。主イエスが支配しておられることが前提とされているのです。といっても、主の支配は重荷を負わせるのではなく、自由を与え恵みを与えるものでした。このことを主は、公生涯の最初に故郷ナザレで語られたのです。

一、苦しんでいる人々への告知

ガリラヤ地方の伝道で称賛されていた主イエスは、故郷に帰られます。その当時は、毎週土曜日に会堂で旧約聖書が読まれるのが習慣でした。その時手渡されたのがイザヤ書だったので、その61章を開かれたのです。イザヤ書は、紀元前8世紀ごろに書かれた書で、貧しい人、捕らわれ人、目の見えない人、虐げられている人を何の差別もなく受け入れるメシアのことが預言されていました。苦しむ人々への恵みのことばでした。

イザヤの時代も、主イエスの時代も、そして現代も、苦しんでいる人々は巷にあふれています。主の使命は、そのような人々を受け入れることでした。恵みとは、神に受け入れられるはずのない人が受け入れられることです。「心の貧しい者は幸いです」で始まる「山上の垂訓」は、貧しさを自覚している人を受け入れることの表明でした。

二、主を受け入れる人々への告知

会堂にいた人々の目が主に注がれたとき、主は「この聖書のことばが実現した」と宣言されました。「主の恵みの年」は今、実現したという意味です。これを聞いた人々の中には、主の語られる恵みのことばに驚いた人もいました。幼い頃から主を知っていた人々はなおさらでしょう。父ヨセフは大工なのに、どこでこのような知恵を得たのだろうという疑問もありました(マタイ13:56)。

主イエスは、ダビデの子孫ですが、祭司の血筋のレビ部族ではありません。しかし、祭司以上に旧約聖書を深く理解し、さらにそれをその時代にあてはめることをなさいました。しかも、苦しむ人々を解放するために働くことを告知されたのです。主のことばを素直に受け入れた人々は、たとえ少数であろうとも、新しい時代が来ることを期待したに違いありません。

三、主を受け入れない人々への告知

でも大多数の人々は、主イエスの出自を知っていたゆえに、懐疑的でした。「預言者が故郷では歓迎されない」とは、人間の理解力は外見に大きく制限されることを示しています。その後主は、異邦人のやもめに糧が与えられ、異邦人の将軍のツァラアト(ハンセン病)が癒やされた故事を話されて、神は民族上のユダヤ人にだけ、恵みを与えられるのではないことを教えられました。

これを聞いた人々は、主を崖から突き落とそうとしました。それほどまで怒ったのは、自分たちユダヤ人は、異邦人よりはるかに優れていると自負していたからです。ローマ帝国の圧政で苦しんでいたゆえに、主が語られた「恵み」を外面的なものに限定していたからです。でも主は、政治的解放のためではなく、人を罪から解放し、神に受け入れられる者とするために来られました。

「主の恵みの年」は、多くの人々が求める「ご利益」が与えられる年のことではありません。結果として家庭や健康や経済が豊かになるとしても、最初からそれを願うことではないのです。こんな弱い自分を、主はこの一年も受け入れてくださることを感謝して歩むなら、本当の意味で「主の恵みの年」となることを知りましょう。