2021.12.26 メッセージ内容

「幼いころの主イエス」 マタイ2:13-23

立って幼子とその母を連れてイスラエルの地に行きなさい。(20節)

マタイは、主イエスが真の王であることにあちこちで触れていますが、主を神の国の王として迎えない人も多くいたことを記します。今日の個所によっても、誕生後の数年間、主とその家族は権力者から命をねらわれていたことがわかります。これらの出来事を通して、聖書の示す真の「救い主」とはどんなお方かが教えられるのです。

一、エジプトの国に逃れた

3人の博士たちが帰った後、主の使いは2度目に夢でヨセフに語ります。ヘロデ王に殺されないように、エジプトへ逃れるよう指示したのです。この出来事は、旧約聖書のホセア書11:1の預言が成就するためでした。これは、紀元前20世紀、イスラエルの民が飢饉から逃れるためにエジプトに行ったことの象徴的再現です。神の民を救うためには、イスラエルが経験した苦難を同じように味わうことが救い主に必要なことでした。

神は、「試練とともに脱出の道も備えていてくださる」お方です(Ⅰコリント10:13)。いえ、脱出できることを経験させるために、あえて試練を与えられるのです。試練を経験した人は、弱い立場の人のことを理解しやすくなります。そして、弱いからこそ、神に拠り頼むのです。主イエスが経験された弱さこそ、救い主のしるしでした。

二、イスラエルの地に戻った

博士からの報告がないのでヘロデ王は激怒し、ベツレヘムとの周辺に住んでいた2歳以下の男の子を殺害しました。少なくとも20~30人は犠牲になったでしょう。これもエレミヤの預言の成就でした。命からがらエジプトに逃れたヨセフ一家は、外国で不自由な生活を送ったことでしょう。その国で、ヨセフは3度目の夢を見ました。

多くの場合、夢は人間の願望の現われだと解釈されます。しかし、神が夢の中でご自身の意志を示される場合もあります。ヨセフは、自分のみた夢に従い、ヘロデ王の死後、イスラエルの地に帰りました。どんな権力者も、死に勝つことはできません。エジプトでの苦難を体験した後、「わたしの子」と預言されていた主イエスは、神の約束の地に戻ることとなりました。

三、ナザレの町に住んだ

しかし、ヘロデ王の息子のアケルラオは、父親と同じく残虐な性格でしたので、その支配下にあったベツレヘムのあるユダヤ南部地方に帰ることはできませんでした。そこで、ユダヤ北部ガリラヤ地方のナザレの町に戻ります。これはヨセフとマリアとが育った町であり、家族や知人もいたことでしょう。イザヤは、「異邦の民のガリラヤ」が栄光を受けると預言しています(9:1)。これも、主の摂理の中にあったことでした。

ナザレは小さな町で、旧約聖書には一度も言及されていません。しかし、新約聖書では、主が「ナザレ人」と呼ばれたことが何度も記されています。今でいう「田舎者」という意味で、「ベツレヘム人」と言われるのとは大違いです。当時の多くの人々は、主イエスを「王」ではなく、ただの若僧だと考えていたのです。実は、そのことこそ、神のご計画にあったことでした。

主イエスは、圧政に苦しむ庶民の一人としてこの地上に生まれ、その生涯を過ごされました。幼いときから誤解され続けました。それはひとえに、イザヤの預言した「苦難のしもべ」として歩むためにほかなりません。ご自身が苦難を受けて歩まれたからこそ、苦難の内にある者を救い出すことができるのです(ヘブル4:14)。