2021.12.5 メッセージ内容

「恵まれた人とは」 ルカ1:26-38

おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。(28節)

イエス・キリストの誕生は、母親のマリアの大きな決断がなければ実現しませんでした。祭司ザカリヤに現れた御使いガブリエルは、このマリアにも現われ、「受胎告知」をします。その時に御使いが「おめでとう、恵まれた方」と言ったのは、彼女が次のような人だったからです。

一、主がともにおられる人

マリアはまだ10代だったと推測されますが、「神様は私と一緒にいてくださる」と自覚していたに違いありません。老若に関係なく、「主がともにおられる」と信じ、主との親しい交わりをもつ人を、神様は用いられます。どのような仕事でも、奉仕でも、伝道でも、自分自身の力によって行っているのではありません。ともにおられる主が、自分に力を与えてくださっているのです。

「自分の状態を見ると、とても主が一緒におられると思われない」と言う人もいます。確かにそうでしょう。でも、自分の姿を見るなら、いつまでたっても、失望するばかりです。物事が順調に進んだときには、自分の力でやったと誇り、出来なかったときには落ち込む。自分の姿を見ていると、そんな不安定なことばかりです。

二、自分の弱さを認める人

御使いのことばを聞いて、マリアはひどく戸惑いました。さらに「あなたは身ごもって、男の子を産みます」とまで言われたとき、「どうしてそのようなことが起こるのでしょう」と答えたのは当然でしょう。主がともにおられると自覚していても、主のなさることに疑問が生じるのは、どんな人にもあることです。それが人間の弱さです。でもそれを率直に申し上げれば良いのです。疑問をそのまま主に訴える人こそ、恵まれた人です。

祈りとは、自分のありのままの姿を主に申し上げることです。全てをご存じの神の前に、自分を飾ることはできません。詩篇の中にも、「主よ、どうしてこんな災いにあうのですか」と祈る歌が何度も出てきます。疑問があるなら、それをそのまま主に告白しましょう。そのような主との交わりができるとしたら、それが「主がともにおられる」という証拠なのです。

三、みことばに信頼する人

御使いは、聖霊のお働きで妊娠することや、エリサベツの例を挙げて、「神にとって不可能なことは何もありません」と強調します。そのことばをマリアは信頼し、「あなたのおことばどおり、この身になりますように」と答えたのです。これからおこる様々な困難を、マリアは予想できたことでしょう。でも、御使いのことば、すなわち、神のことばに全幅の信頼を置いたのです。マリアのこの一言がなければ、クリスマスはありません。

神にとって不可能なことは何もありませんが、そのことを信頼して人が応答することを、神は期待されています。神のご計画に「はい」と答える人がいることが、その前提にあるのです。神のご計画に、人が自由意志をもってお答えする人こそ、恵まれた人と言えるでしょう。マリアは、そのために選ばれた人でした。

今でも、神のなさることの全てを理解することはできません。コロナ一つをとってみてもそうです。たとえ理解できなくても、「主がともにおられる」という信仰をもって歩むなら、平安が与えられます。「なぜ神様はこんなことをなさるのか」と思うなら、それをそのまま訴えましょう。たとえ、すぐに理解できないにしても、後から考えると、素晴らしい結果となっているのです。