2021.11.14 メッセージ内容

「幸いな人」 詩篇1:1-6

幸いなことよ。悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、嘲る者の座につかない人。(1節)

詩篇は、人間が神に訴えて祈る「魂の叫び」と言うことができます。詩篇1篇には、神とそのような関係を築ける人はどんなに幸いであるかを述べています。聖書が示している「幸いな人」とは、多くの人たちが考えているような、金持ちの人、健康な人、家庭が円満である人ではありません。確かにそれらの人は、外面的には幸せに見えるでしょう。でも、もっと大切なことがあると聖書は教えるのです。

一、悪に向かわない人

昔も今も、私たちの周りには悪の誘惑が満ちています。1節には「歩む」から「立つ」へ、そしてついには「座にすわる」と、悪に進む道の恐ろしさが書かれています。悪は、最初は小さくても、どんどんエスカレートしていくのです。そのような悪から離れ、神に向かってまっすぐに歩んでいくためには、誘惑に陥らないことが大切になります。では、そのためにどのようにすべきでしょうか。それが、その次に書かれていることからわかります。

二、主のおしえを喜ぶ人

「主のおきて」は、聖書の中に記されています。毎日聖書を読むことを喜びとしている人こそ、本当の意味で「さいわいな人」なのです。そう言う人は、どんな時でも聖書の言葉が口から出てきます。あるいは賛美歌や聖歌を口ずさんでいるのです。聖書を読み、賛美歌をくちずさむ日々をおくりましょう。喜びはおのずと生まれてきます。毎日毎日、聖書を読み続ける人は、何と幸いでしょうか。そのようにして、深く主を知る者となりましょう。

三、実を結ぶ人

聖書のみ言葉は、人の心にとどまり、人格を形成します。その結果、その生涯に素晴らしい実が結ばれるのです。しばらくは試練があり、どこにも実など見つからないように感じられる時もあるでしょう。でもあきらめてはなりません。ヨハネ福音書15章に書かれているように、主イエスと繋がり続け、祈り続けるならば、「時が来ると実を結ぶ」のです。何をしても「すべて栄える」のです。

結論 私たちは弱い者です。しかし、教会につながっているゆえに互いに励まし合うことができます。はかない悪の道ではなく、どんな時でも、私たちを見ていてくださる主の御顔を意識して、喜びをもって生活しましょう。