2021.11.7 メッセージ内容

「頼るべきもの」 Ⅰサムエル24:1-15

私の主君に手を下すことはしない。あの方は主に油注がれた方だから。(10節)

巨人ゴリヤテを倒してから、ダビデは一躍有名になりました。しかし、それを妬んだサウル王が彼のいのちをねらうようになったのです。ダビデは逃げ回るばかりでした。この時期に彼が作った詩篇57篇を参考にしながら、ダビデの信仰がどんなものだったかを学んでみましょう。

一、部下の意見に頼らなかった

エン・ゲディは、死海の西側に現存する多くの洞窟がある場所です。ダビデを追ってきたサウル王が、たまたま用をたすために入った洞窟の中に、ダビデと部下たちが隠れていました。こちらに背を向けてしゃがんでいる無防備な王を、背後から襲うことは簡単にできます。部下はダビデに、「主が与えてくださったチャンスだ」とささやきます。ダビデもそう思ったのかもしれませんが、王の上着の裾を切り取るだけにとどめました。

しかし、自分がしたこのことについて、彼は心を痛めます。そして部下が王を襲うのを許しませんでした。部下は、ダビデのことを思って助言したのでしょうが、ダビデはサウル王を「主に油注がれた方」と受けとめ、部下の意見に頼らなかったのです。自分の味方の意見よりも大事な声がダビデの心に響いていたからです。

二、自分の力に頼らなかった

ダビデはこのときまでに、サウル王の娘と結婚していました。あちこちの戦いで敵を打ち破っていたので、相当の力があったと思われます。しかし、洞窟を出て行ったサウル王に呼びかけ、地にひれ伏して礼をしました。勇敢なダビデでしたが、あえて自分の力に頼ろうとはしませんでした。そして、自分は王に害を加えようとしていないことを、明確に王に伝えたのです。

どんなに悪い王であっても、神が立てられたことを忘れてはならないというのが、ダビデの考えの根底にありました。たとえ自分を憎む王であっても、反撃しようとしなかったのは、そのゆえです。私たちの周囲にも、ゆえなく私たちを苦しめようとする人がいるかもしれません。しかし、その人たちを憎む気持ちがあったとしても、自分から実力行使をしてはならないのです。

三、主のみ旨に頼った

さらにダビデは王に言います。「主が私とあなたの間をさばかれますように」と。自分が善か悪かを裁くのではなく、全てをご存じの主なる神が裁かれるようにと、主のみ旨に頼ったのです。自分は死んだ犬であり、一匹の蚤にしかすぎないと自分の無力さを告白します。これを聞いたサウル王が声をあげて泣き、「おまえの手によってイスラエル王国が確立することを、私は今、確かに知った」と言ったのもうなずけます。

その結果、無実のダビデを追い回すようなサウル王であっても、「主が私をお前の手に渡されたのに、私を殺さなかった」と、主がこの一連の出来事を引き起こされたことを認めざるを得ませんでした。ダビデが主を頼ったことが、この結果を招いたのです。一人の人の正しい行いが、周囲の人々に影響を与えたことがわかるでしょう。でも、恩を仇で返す人がいることも事実です。

人の意見を聞くことは大事であり、自分でできることを行うことも大切です。しかし、全ての背後に神の大きな手があることを忘れてはなりません。詩篇57篇の最後で、「あなたの恵みは大きく、天にまでおよび、あなたのまことは雲にまで及ぶからです」とダビデは歌っています。この偉大な方に頼れるとは何と幸いでしょうか。