2021.9.26 メッセージ内容

「苦しみは喜びに」 ルツ記4:7-17

買い戻す者をあなたに与えて、あなたの跡を絶やさなかった主がほめたたえられるよう。(14節)

モアブからベツレヘムに帰ってきたナオミを、村の人たちは驚き迎えました。ナオミは、自分の名前が「喜び」という意味であるのに、無一文で帰ってきたゆえに、自分の名をマラ(苦しみ)と呼んでくれと悲観的でした。しかし、そんな彼女に、神様は本当の「喜び」を与えられたのです。

一、神が与えられる苦しみ

夫と息子と4人でベツレヘムを出発したのに、帰った時は異邦人の嫁のルツと2人だけでした。ナオミが、「全能者が私をつらいめに会わせられました」と嘆くのも当然のように思えます。そんなナオミの痛みを知っていたルツは、何とかナオミを支えたいと思い、「落ち穂拾い」をすることにしました。これは、貧しい人たちの生活のため、イスラエルの国で継承されていた習慣でした。

私たちの人生には、つらいことや苦しいことが時々おこります。それが何度もおこるときには、「神様はなぜこんな辛いことをなさるのだろう」とつぶやきたくなります。しかし、たといどんなに苦難がおこっても、愛なる神様は、それだけでことを終わらせられません。神様は、「試練とともに脱出の道も備えてくださいます」(Ⅰコリント10:13)と、聖書は明確に記しています。

二、神が与えられる助け手

自分たちの食べ物を得るために落ち穂拾いに出て行ったルツでしたが、そこが「はからずも」ボアズという人の畑でした。驚くことに、ボアズはナオミの親戚だったのです。ボアズは、二人がベツレヘムに帰ってきていたことを雇人から知らされていました。そこで、ルツができるだけたくさん落ち穂を拾えるように便宜をはかってくれたのです。これはただの偶然でしょうか。

苦しみにあったときは、悲観的になりがちです。しかし聖書は、そんなときにも、神様は助け手を用意くださっていると証言します。ボアズは、イスラエルの習慣では、ナオミが失ったものを買い戻す権利をもつ人でした。亡くなった夫や息子の代わりになって、ナオミの血統を残すことができる人だったのです。そのために、ボアズはルツを妻として迎える決心をしました。ボアズはこのことを、長老たちの前で宣言します。

三、神が与えられる楽しみ

ボアズは異邦人の女性ルツと結婚しました。当時としては珍しいことでしたが、その背後には、神様のご計画があったのです。そして、二人の間に男の子が生まれました。その子はオベデと名づけられます。「仕える者」という意味です。ナオミには、自分の実の息子たちの代わりにオベデが与えられたのです。神様は、苦しみを通して大きな喜びを与えられることの実例でしょう。

さらに素晴らしいことに、オベデのひ孫としてあの有名なダビデ王が生まれました。王の血統のなかに、異邦人ルツが加わったのです。新約聖書の冒頭には、主イエス・キリストの系図の中に、ルツの名前が記されています。ナオミには、ルツという女性、またボアズという男性の助け手が備えられていました。さらに、救い主の誕生のご計画にも関わることができたのです。人間の考えを遥かに超えています。

私たちの人生にも、喜怒哀楽、様々な出来事がおこります。しかし、一喜一憂することなく、背後にある神のご計画に信頼しましょう。そうするなら、「苦しみは楽しみに」なるはずです。また、私たちが周囲の人々の助け手となることが、神の計画を進める可能性もあるのです。