2021.7.4 メッセージ内容

「回心したサウロ」 使徒9:1-9

「主よ、あなたはどなたですか」。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」。 (5節)

新約聖書の半分は、キリスト教の迫害者であった人物によって書かれています。この迫害者だった人物、サウロ(後のパウロ)がどのようにこんな方向転換をしたかがこの箇所に記されています。「回心」と言われるこの出来事は、私たちの人生においても起こることで、その前後で生き方が全く変わってしまうのです。

一、以前の生き方

ステパノの崇高な殉教の姿は、その現場にいたサウロの心を刺し貫きました。それ以後、サウロは何かに取りつかれたように、キリスト者を迫害し始めます。イエスという人物が神の子で、その十字架での死が罪の身代わりであり、それを信じるだけで救われるという教えなど、旧約の律法を遵守することによって救われると考えていたサウロにとって異端的なものでした。

多くの人は「良いことをしたら良い結果が生まれる」と考えるし、確かにそうあってほしいです。しかし現実にはそうでないこともあります。まじめな人ほど、その現実に悩みます。そして、自分の考える正義を貫き、それに反対する人々を批判したり、時には傷つけたりすることもあります。しかし、自己正当化は人を高慢にし、争いを増幅することが多いのです。

二、回心のきっかけ

迫害のためにダマスコという町へ行く途上、サウロは「なぜわたしを迫害するのか」という声を聞きました。それは、自分が信じる「主」の声であり、しかもキリスト者を迫害することは主を苦しめることだと、彼はその時に気づいたのです。それが彼の回心のきっかけでした。自分の考えに固執することにより、多くの人を苦しめていたことを悟ったのです。人を苦しめることは神を苦しめることだと、聖書は語ります。

自分の生き方に確信をもつことは大切です。だからこそ、一生懸命に生きていけます。しかし、それが人を苦しめることかもしれないと考えたことがあるでしょうか。いえ、神を苦しめることにさえなるのです。主イエスが話された放蕩息子の譬話のように、自分のしたいことをすることが親を悲しませ、自分も破壊する結果になることもあることを知ってください。

三、以後の生き方

アナニアという人の導きによって「目からうろこ」の経験をしたサウロは、ただちに「イエスこそ神の子です」と宣べ伝え始めました。キリスト者を迫害していた人物が、正反対に、キリストを宣教する者となったのです。裏切り者と目された彼はアラビアに難を避けるのですが、そこで3年間旧約聖書を読み、イエスこそ本当の救い主であるとの確信を深めました。

彼のように、明確な「回心」の経験をする人はそう多くはないでしょう。しかし、キリスト者になる人は、大なり小なり、何かの変化を経験します。何よりも大きな変化は、目に見えなくてもともに歩んでおられる主イエスに気づくことです。そして、この方に祈り求めるようになります。自分の力に頼る生き方から、主イエスに頼る生き方へと変えられるのです。

自分の考えを正当化する傾向は、私たちにもあります。しかし、謙遜に「主よ、わたしは失敗が多い弱いものです。どうか助けてください」という祈りをもって歩むなら、主が最もふさわしい道に導いてくださいます。そのような主との交わりを喜ぶ者となりましょう。