2021.6.27 メッセージ内容

「キリスト者となる」 使徒8:26-40

水があります。私がバプテスマを受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。 (36節)

初代教会では、12弟子だけでなく他にもいろいろな人々が、「復活されたキリストこそ、私たちの救い主」と人々に宣べ伝えていました。ステパノとともに「信仰と聖霊に満ちた人」(6:5)と目されていたピリポもその一人でした。彼の助けによって、エチオピア人の宦官がキリスト者になった経緯がここに記されています。

一、聖書を読んでいた

エチオピアには、紀元前10世紀、ソロモン王の時代に、ユダヤ教が伝えられていました。天地を創造した神がおられることを聞いていたこの宦官は、わざわざエルサレムまで来て、高価な聖書の巻物を買い求めたのです。当時、ヘブル語で書かれた聖書を読める人は滅多にいませんでした。彼は、興味津々、預言者イザヤの書いた53章あたりを読んでいました。

現代でも、聖書は毎年、日本では30万冊、世界では4000万冊も印刷されています。1000ほどの言語に翻訳されています。他の書籍とは桁違いの数です。古今東西、だれにでもあてはまる真理が記されているからです。聖書を読むことによって、人は神の存在や人の実態を知ることができます。罪深い人間に対する愛に満ちた神のご計画を悟ることができるのです。

二、キリストを受け入れた

しかし残念なことに、旧約聖書だけではすべてを理解することは困難です。この宦官は、自分が理解できないことを、正直にピリポに伝えました。そこでピリポは口を開き、「この聖書の箇所から始めて、イエスの福音を彼に伝えた」のです。旧約聖書は、救い主がおいでになることを預言しているのですが、その方が、実際にこの世界に来られたとは記していません。それが書かれているのは新約聖書です。

今の時代でも、多くの人々は聖書を読んではいてもその内容を十分に理解してはいません。時代も場所も違うからでしょう。ピリポのように聖書を解き明かす場こそ教会です。教会は過去2000年間、旧約聖書の預言は、イエス・キリストによって実現したゆえに、どんな罪びとも、罪の罰を身代わりに受けられたキリストに信頼するなら救われると語り続けてきたのです。

三、バプテスマを受けた

宦官は、その場でバプテスマを受けたいと願い出ました。唐突なことのように思えますが、実はこれこそ初代教会がやってきたことです。ペンテコステの日には3000人がバプテスマを受けました(2:41)。この宦官は、道のほとりにあった川か池かでバプテスマを受け、その後、喜んでエチオピアに帰国しました。現在でも、エチオピアではキリスト教が盛んです。

バプテスマとは、単にキリスト教への「入信儀礼」というだけのものではありません。それは、過去の古い自分が死んでしまい、新しい自分に生まれ変わるスタートラインです。自分の罪や弱さを悲しみ、主イエスと一緒に新しい歩みを始めていくという決意を表す時です。いろいろな心配があるかもしれませんが、一つ一つ解決してくださる主イエスを信頼しましょう。

この宦官がバプテスマを受けるためには、聖書があったことと、聖霊の導きによるピリポの助言があったことを忘れてはなりません。聖霊と聖書は、私たちがキリスト者となるために、今も必要です。私たちの教会にも、同じように主が働いておられることを確信します。