2021.6.13 メッセージ内容

「働いておられる神」 使徒5:1-11

教会全体と、このことを聞いたすべての人たちに、 大きな恐れが生じた。 (11節)

足の不自由な人が癒やされたことがきっかけで、弟子たちは投獄されることになりました。外部からの迫害の始まりです。しかし、問題は内部からも起こってきました。この問題がどのように解決されたかを聖書は明記します。このことについても、神が働いておられたのです。

一、善意の人々をおこされる

4章の最後には、信徒たちが自分の持ち物を自主的に提供し、乏しい人々に分け合っていたことが記されています。これは誰かに強制されたことではありません。バルナバ(慰めの子との意味)という人も自分が持っていた畑を売って、その代金を教会の働きに用いてもらいたいと持参したのです。このような善意の人々が多数いたので、教会は拡大していきました。

今でも、教会は善意の人々の自発的な献金によって運営されています。この会堂ができたのも神学校ができたのも、その結果です。飢餓に苦しむ国の人々を支援している人々もいます。神の愛に生かされた人が、弱い立場の人を愛して支えていくのは自然の流れです。明治維新以降、日本の社会福祉事業に多くのキリスト者が関わってきたことを忘れてはなりません。

二、欺く人々をさばかれる

アナニアとサッピラという夫婦も、同じように持ち物を売って、代金を使徒たちの所に持ってきました。でも全部ではなく、一部だけだったのです。正直にそれを言えば良かったのに、さも全部であるかのように欺いたことが大問題でした。それは神と聖霊を欺くことにほかなりません。悔い改める機会があったにもかかわらず、彼もその妻も欺き続けたので、厳しいさばきが彼らの上にくだされました。

欺きは、今の時代にもあちこちにあります。政治の世界でも大問題となり、欺きに堪えられない人は自死に至るという悲惨な結果になったとも報道されています。人を欺いて平気な人もある中で、神様は何もされないのでしょうか。いえ、この記事のようにすぐに結果が現れないにしても、必ず神の正しいさばきが下されます。ただ忍耐しなければなりません。

三、健全な恐れが生じる

これを聞いた人々には、「大きな恐れが生じた」と聖書は二度も繰り返しています。教会は人が作り上げた組織ではなく、神様が働いておられる共同体です。キリスト者は人を恐れてはなりませんが、神を恐れねばなりません。「主を恐れることは知識の初め」だからです(箴言1:7)。神を恐れないなら、人間は自己中心になり、自分の利益のために平気で不正をするようになります。聖書の示す神は、愛の神であると同時に、正義の神であることも知ってください。神は必ず不正をなすものをさばかれます。

初代教会にこのような出来事が起こったのは、教会が神のものであることを示すためでした。金銭は多くの人々を利得に走らせます。教会ではそうであってはなりません。献金も正しく管理せねばなりません。誠実な人の誠実な歩みこそ、教会を真の姿へと成長させるのです。

神様は今日も働いておられます。もし、自分の罪に気づいたなら、正直に悔い改めましょう。神に対して健全な恐れをもつなら、神のみ心にそって生きることができます。人を裁いてはなりません。それは神がなさることです。真実な愛をもって互いに支えあいましょう。