2021.6.6 メッセージ内容

「問題解決のかぎ」 使徒3:1-10

ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。 (6節)

ペンテコステの日に誕生した教会は、どんどんと成長していきました。弟子たちは、「復活の証人」として大胆にキリストのことを語りました。それとともに、多くの不思議なわざもなされました。その一例がここに記され、苦難の問題を解決するかぎが示されているのです。

一、お金による問題解決

生まれつき足の不自由な男が、神殿の名所だった「美しの門」のそばで人々から施しを求めていました。それだけが、自分の生きていくための唯一の方法だと思っていたからでしょう。確かに人が生きていくためにはお金が必要です。しかし、お金さえあればすべての問題は解決すると考えてはなりません。お金は使えばなくなるので、彼は死ぬまで物乞いを続けることになります。真の解決方法ではないのです。

現代でも、お金によって問題解決をしようとする人々は多くいます。コロナ禍の中で、経済的な困難に陥った方々のことを聞くと、私たちも心が痛みます。生活ができなくて、自分の命を断つ人たちもおられます。でも補償さえすれば良いのでしょうか。問題は、お金がなければ生きていけない、幸せになれないと考えることではないでしょうか。

二、癒やしによる問題解決

ペテロはこの男に、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって歩きなさい」と言いました。するとたちまち彼は強くなり、歩き出したのです。即座の癒やしです。歩けるようになったら彼は働くことができ、得たお金で生活することができます。物乞いよりもはるかに確実な解決です。癒やしの奇跡は、聖書の中に何度も記されており、このような奇跡が苦難の中にあった人々を救い出したことは事実です。

今でも、病に苦しむ人はたくさんおられます。病気さえなければ幸福になれるのに、と思う人も多いです。しかし、すべて病気が癒やされるわけではありません。たとえ病人やからだの悪い人であっても、幸福に生きる道があることを、聖書は教えています。

三、キリストによる問題解決

 ペテロは、「キリストの名によって」彼を癒やしたことに注目してください。彼は、「自分の力や敬虔さによって彼を歩かせた」のではなく、イエスの名を信じる信仰が、彼を癒やしたと言っています(12-16節)。この男もそれがわかっていたゆえに、「神を賛美しつつ…宮に入って行った」のです。癒やしはすばらしいことですが、それをなされるのは神ご自身であり、キリストに信頼する信仰です。この男は貧しく、職もありませんでした。でも、キリストというお方が全能者であることを体験し、賛美したのです。

たとえ病気が癒やされなくても、神の愛が注がれていないのではありません。病の中でも神を賛美している人々は多くいます。現在、様々な問題を抱えていても、主は必ず最善にしてくださることを信じるなら、主を賛美し、喜びの日々を送ることができるのです。

キリストこそ、すべての問題を解決してくださるお方です。私たちがどのような問題をかかえていても、主はすべてご存じです。素直にその問題を主に申し上げましょう。「求めなさい。そうすれば与えられます」。主は最も良い時に、その御業を現してくださいます。