2021.5.2 メッセージ内容

「力の源泉」 使徒1:1-11

「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。」 (8節)

弟子たちは、復活された主イエスに少なくとも3度会いました。それだけで十分に「復活の証人」としての資格をもっていると思います。けれども、主はあえて「エルサレムを離れないで、父の約束を待ちなさい」といわれました。その期間に彼らは何をしたのでしょうか。

一、復活を確認した

ルカは、主が「数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された」と記しています。主の復活されたお体は、普通の人間の肉体とは違っていたのですから、復活を疑う人たちがいたのも当然でしょう。しかし、複数の人々が同時に同じ場所で主の姿を目撃したことは、4つの福音書が共通して証言しています。しかもそれが40日間続いたのです。主の復活を肉眼では見たことのないパウロも、「500人以上の兄弟たちに同時に現れました」と記しています(Ⅰコリント15:6)。

現在でも、復活を信じることのできない人は多数おられます。歴史上、一度も起こったことがないことだからでしょう。しかし、それをあえて記す点で、聖書は他のどの書物とも明確に違っています。単なる倫理や道徳、あるいはご利益を教える宗教とは一線を画すのです。

二、聖霊を待ち望んだ

しかし、主イエスが復活された姿で弟子たちに現れたのは限られた期間だけでした。その後に主は昇天され、「目には見えなく」なられました。「見ないで信じる」ことが重要だからです。主の代わりに与えられたのが、ヨハネ福音書14章で約束された聖霊、「もう一人の助け主」、「真理の御霊」です。「わたしは去って行くが、あなたがたのところに戻って来る」という約束の成就です。「聖霊によるバプテスマ」とは、水ではなく聖霊に浸されることで、いつでもどこでも、主イエスの中に浸されることを意味します。

復活された主イエスは、たとえ目に見えなくても生きておられる。これが聖霊によって明確になることです。これを実際に経験するためには、弟子たちでさえ時間が必要でした。今でも聖霊は、待ち望むならば、必ず与えられます。

三、再臨を期待した

弟子たちは、主が「イスラエルのために国を再興してくださる」のを期待していました。目に見える形で、祖国が繫栄することを願っていたのです。でもそれは、「父が自分の権威をもって定め」なさることです。その日、イスラエルの国ではなく、神の支配される「神の国」が実現します。み使いが告げたように、その日に主イエスは再びこの地上に来られ、地上の悪が正しく裁かれることを忘れてはなりません。

弟子たちはその日が来るのを期待していました。その日には、迫害は止み、すべての人々がキリストの権威を認めるようになるからです。 しかし再臨は、その後2000年たってもまだ実現していません。なぜか。主は「すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられる」(Ⅱペテロ3:9)からです。だからこそ、これ以降、弟子たちの生き方は大きく変わっていきます。

過去に主は復活され、現在主は共におられ、将来主は再臨されます。この確信が弟子たちに驚異的な力を与えました。ユダヤ人を恐れて逃げ隠れしていた彼らが、人々の前で大胆に「キリストこそ救い主である」と主張し、「復活の証人」としての歩みを開始したのです。